コラム

COLUMN

デジタル化で思うこと(ほとんどぼやきです)

1997年11月

竹内英雄現在、印刷媒体の制作も、コンピュータ化によりプリプレス(製版フィルムまでですが)が当たり前になりつつあり、アナログ処理を省き制作するという形態が多くなってきました。

私自身も、デジタルクリエーターを名乗っておりますが…

この仕事をはじめた頃は、カッターナイフやペーパーセメント・ロットリング・定規は不可欠でした。写植機といえば、画面がCRTなしのH送りQ数指定で、文字配列(一寸ノ巾)を暗記し、文字詰めには神経を使い、画材を色々揃えイラストレーションするといった分業で、アナログの職人たちの技術の集大成として印刷物が出来上がっておりました。もちろん、画像については、製版技術者の方の経験により仕上がりが左右されるという状況でした。

コンピューターによる処理能力が、ベテランの技術に限り無く近づき、試行錯誤が繰り返され、そのノウハウが蓄積され、デジタル化は急速にすすんでいます。

そのおかげで、私も組織という枠組みから飛び出し、Macintoshを使用して、すべての作業を1人ですることができるのですが…。

フルデジタル処理した仕事において、仕上がりが良い場合に「なんでもできる機械なんですね」というお誉めの言葉をいただきます。これって、嬉しくありませんね。いつのまにか、オペレーターとデザイナーの垣根がなくなってきているように思います。

昨今の雑誌などで、専門学校や各種デザイン系の大学でデジタルクリエーター養成のコースの案内をよく目にするようになってきました。どういった内容を習っているのか興味あります。

現実の仕事においての話になりますが、印刷物についての訂正はつい最近まで、先に上げた技術者が再度処理のやり直しをするため、時間と経費がかかっておりました。そのような訂正・変更が、画面上で出来るようになったため、時間と経費が短縮されるようになったのは確かです。その反面、依頼者(クライアントの担当者)の見てる前で作業をしてしまいがちで、すぐ直るといった印象を与えてしまい、今までより安価でより複雑な内容の作業をするはめになっております。

話を元に戻しますが、近い将来クリエーター養成学校出身者が、出稿側にうようよする時代が来ることを覚悟しておかないといけないと感じております。訂正・変更が容易ととらえられているため、制作者のモチーフが軽視され、単なるコラージュ(ポリシーのないつぎはぎコラージュという意味)が氾濫する予感がします。

フライヤー等の寿命の短いものはそういった運命なのかもしれませんが…

画像の扱いについても、 印刷の線数(lpi)とデジタル画像の解像度(dpi)の関係でさえクリアされていればそれでいいのでしょうか?最近疑問をいだいております。150線の出力(印刷物)なら300dpi(原寸)という目安(計算式をしりたい方は専門書などをお読み下さい)だけで、複写二次原稿(印刷物の再スキャン)を扱い、ガウス処理なしの網点丸見えという物が増えてきているように感じます。

RGBのスキャンデータをPhotoshopなどで、カラー変換テーブルを用いCMYK変換すると、くすみが生じることからか、手作業の製版処理に劣るという点についても平気でいていいのかとも疑問を持っております。

つべこべ言っても、デジタル化は今後一層すすむでしょう。日進月歩のハード面の進化についていく努力と、柔らかい発想ができる感性を磨くことが大切だと感じているこの頃です。